皇帝の戦いとドイツ帝国の崩壊

ナマステ!今日は貴族が起こした最後の大戦争の終わりについて学んでいきたいと思います。

第一次世界大戦
戦争とは、為政者の勝手によって始まるものという理解が広がっています。どんな戦争でも、割りを食うのは兵士であり、銃後の市民であることは事実です。近代までは、この「偉い人たち」は貴族や王族など、封建制の頂点に位置する人でした。第一次世界大戦は、そのような貴族が起こした最後の戦争で、しばしば近代と現代の境界として位置付けられます。
一次大戦以前の戦争は、大規模な戦闘がごく限られた短期間に発生するか、小規模な戦闘がずるずる続くかの2択で、兵士はともかく市民にはあまり関係のないものでした。しかし、機関銃が発明され、日露戦争の旅順攻囲戦を端緒に、戦闘は防御側圧倒的有利の時代となっていきます。欧州の軍人たちは日露戦争の戦訓を十分吸収することができずに、機関銃陣地に兵士を突っ込ませ、死体の山を築くことを繰り返します。農業や工業生産で必要とされる人的資源すら数ヤードの土地のために費やす戦争が開始されたのです。

では、どのようにして戦争は終わったのか?
ほとんどの人は、第一次世界大戦はドイツの敗北に終わったことは知っていても、なぜドイツが負けたのかはピンと来ないはずです。事実、当時のドイツ国民でさえもなぜ負けたのかよくわからなかったようで、ユダヤ人の陰謀と決めつけるナチスの思想が広がっていった経緯があります。
戦争の終わりを理解するために、第一次世界大戦の終盤の流れをおさらいしましょう。

・戦争の膠着状態の打開を目的とした、ドイツによる無制限潜水艦作戦の再開。ドイツ経済の疲弊を狙ったイギリスによる海上封鎖に対抗して行われた作戦であるが、アメリカ人の犠牲が出たことでアメリカの参戦を招きかねない状況となり、中断されていた。結果、アメリカが参戦することとなった。
・ロシア革命が発生し、紆余曲折あるものの東部戦線(ロシア戦線)が消滅。
・イタリア戦線における同盟軍の攻勢。ドイツは崩壊寸前のオーストリア軍を助け、戦線を安定化させることに成功する。
・ドイツの経済的疲弊と人的資源の枯渇。ドイツはイギリスによる海上封鎖を打破することができず、食料品や工業原材料が不足していた。また、長期化する戦争で(連合国も同様だが)人的資源が底をついた。

ドイツが戦争に勝利するためには、アメリカの兵隊が西部戦線にやってくる前に、フランスを降伏させ、イギリスを海の向こうに追いやる必要がありました。そこで、ドイツは最後の大規模攻勢を開始します。結論から言うとこれは失敗し、ドイツの勝利の目は潰えることとなりました。勝ち目のない戦争に出撃を命じられる水兵の反乱が契機となり、ドイツは革命前夜の状態となり、帝政は廃され休戦協定が結ばれることとなりました。

ドイツ帝国最後の大規模攻勢
前に述べた通り、ドイツが勝利するためには、アメリカ軍が到着するまでにフランス・イギリス連合軍を破る必要がありました。そのための最後の賭けとして、通称「皇帝の戦い」と呼ばれる大規模攻勢が行われます(厨二っぽいネーミングで好きです)。賭けに際して、ドイツは以下の用意をしていました。

・最新の歩兵戦術である、浸透戦術の採用。比較的少数の軽歩兵(突撃歩兵)が敵の防御拠点を迂回して突撃し、戦線を撹乱後、本隊が攻撃を開始する戦術。
・突撃歩兵用の携行型機関銃「MP18」の開発。

かくして始まったこの攻勢、緒戦においてドイツ軍は8日間で65kmの前進を達成するなど、大戦果を収め、パリを巨大列車砲「カイザー・ヴィルヘルム砲」の射程内に収めます。パリ市街地への直接砲撃が開始され、ドイツ国内は戦勝ムード、ドイツの勝利を記念した国民の祝日まで制定されます。
しかし、補給部隊や砲兵隊が先鋒の急進に追いつかず、大きな損害が発生し、次第に勢いは削がれていきます。それでもドイツ軍は巧みに戦線の穴をつき、前進を重ねますが、恐れていたアメリカ軍の到着が始まります。
攻勢によって、ドイツ軍の前線には大きな突起部が形成されましたが、アメリカ軍の力を得た連合国軍はここに反撃を加えます。ドイツ軍は激しく消耗しており、突起部が包囲されることを恐れ撤退を始めます。ドイツの最後の賭けはここに失敗に終わることとなりました。

ドイツ革命
ドイツの賭けは失敗し、連合国の反攻が開始されました。ドイツの敗北が決定的となったことを受け、同盟国のオーストリアやブルガリアが休戦に動き出し、ドイツは窮地に立たされます。ドイツ政府も休戦を試みますが、アメリカによる休戦条件「王朝的専制主義の廃止」の要求をドイツ皇帝は受け入れず、交渉は難航しました。
戦争はなおも続き、ドイツ海軍は最後の艦隊決戦を挑もうと水兵に出撃を命じますが、勝ち目の見えない戦争に水兵たちはこの命令を拒否し、逮捕されます。仲間の水兵や兵士、市民は釈放を求めるデモを行いますが、憲兵による発砲をきっかけにデモは暴動へ発展し、各地で蜂起が発生して革命状態になります。社会主義革命への急進化を恐れた政府は、ここに皇帝の退位を決定し、休戦協定が結ばれ、戦争が終わりました。

これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ

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